Null Wota Exception

ヌルヲタアラサーがなんか適当に吐き出すところ

実家の犬が死んだ

昨晩、実家の犬が死んだ。ミニチュアダックスフントの女の子、推定16歳だった。あからさまな病気や事故などではなく、老衰だったと思う。

半年くらい前から、歩き方がよぼよぼになってきたなと感じていた。壁にもぶつかったり、ちゃんと立てずに後ろ足が広がったりもしていた。

1,2ヶ月前、かなり調子が悪くなり、実家の母が仕事で外出している間、昼前に寝た姿勢から動けない状態で夜まで過ごしており、排泄物なども大変なことになっていた、という連絡を受けた。

母が仕事で外出する時には、いつもなら早めにお昼ご飯を食べさせておけば、外出中は犬が自分でシートにおしっこしたり(※うまくいけば)水を飲んだりして過ごせていた。

それが出来なくなっているということなので、妹な僕(両方実家を出て近郊に暮らしている)が昼御飯や排泄の補助をしていた。

緊急事態宣言が出されたころだったの で、リモートワークの昼休み(12-13時)に自転車で40分ほどかけて実家に戻って世話をし、13時からそのままテレコンをし、終わったらまた自転車で家に戻る、ということをやったこともあった。

その時には、ご飯も食べるし、補助をしてあげれば立てて、自分でおしっこもうんちも出来る状態だった。

ここ一週間を振り替えると、タイムズカープラスのナイトパックが安いから、とか言って嫁さんと夜のドライブをしつつ実家に寄ったり、今日は嫁さんは仕事が遅いもんで実家で飯食べたいからと寄ったり、友人とのサイクリングで多摩川で別れたあと、帰る前に休憩が必要とか言って寄ったり、あれこれ理由をつけて度々実家に顔を出していた。

犬を見るたびに体がやつれていくのが分かり、大好きなキャベツやスイカも食べないということで、これはもうそろそろか……と感じていた。

昨晩(水曜)の8時頃、母から家族LINEに犬が逝ったと連絡が入った。気の抜けるようなため息が出て、次に、少し安堵のような気持ちが芽生えたと思う。苦しかったろう、楽になれたね、と。それは、いつ逝ってしまうんだろうと、常に犬の側に居た母の不安、逆に、行こうと思えば行けたが、きっとその瞬間には立ち会えないかもしれないという僕と妹の不安が、解消されたことに対する安堵感でもあったかもしれない。

動物の火葬・供養をやってくれる所が近くにあるようなので、そこまでの車の運転(※実家の車です、念のため)を自分が引き受けることにし、それなら前入りしたほうがいいと、翌日の通勤も考慮しクールビズと部屋着の間のような格好をして、すぐに実家に戻った。

本当は、前入りしたほうがいいから、カーシェアが安いから、なんていうのは些細なことで、犬に会いたかったんだが、素直になれないのは僕の性質だろうか。

犬の生前、そんな僕がうじうじしているのを嫁さんが見て、犬が「xx(名前)、来いよな!」って呼んでるよ、と発破をかけてくれた。それがとても嬉しかった(最高の嫁さんです)

一時間後、実家に着くと、リビングのローテーブルの上にマットやタオルが敷かれ、その上に亡骸となった犬が安置されていた。脇には、季節の青色の花々が飾られていた。

亡骸は、死後硬直になる前に、前足と後ろ足が近づくように、そして顔は前を向くように動かされていた。まるで、原っぱを駆け抜けてジャンプしている姿のようだった。

まだ温かいよ、という母の言葉の通り、亡骸に触れると、まだ温かさが残っていた。その体温や、さらさらでふわふわな毛並みを撫でてながら、呼吸や心拍が無いことが手のひらから伝わってきて、涙が溢れてきた。

瞼は開いており、固くて動かないようだったが、可哀想なので少し閉じさせてもらった。その隙間から覗く深い眼球は、光を失っていた。もう白目を向いたり、表情を僕らに示してくれることもない。

遺体が悪くならないよう、保冷剤を持ってきていたのだが、昨日の晩は雨も降っており涼しく、沢山は必要なかったようだった。

その晩は犬はリビングに寝かせたまま、母と僕はそれぞれの寝室で、犬との最期の夜を過ごした。

犬が家に来たのは、僕が大学二年の頃だった。母が施設から引き取ってきたらしい。

最初の頃は、犬の表情が固く可愛く感じられず、また吠えて煩かったり、排泄に失敗したり臭いが部屋に入ってきたりといった事が続き、憤りを感じていたかもしれない。

しかし、家族でドライブしたり、田舎の親戚の家に行ったり、なんやかんやしている内に、犬が家族を繋ぎ止める役割を担うようになりつつあった。母が溺愛しているのを見て、しょうがないなぁと思いつつも、面白いと思う部分もあって、僕も妹も、犬と何か遊んでそれを家族で楽しむ、ということが良くあったと思う。

僕と母、妹と母、僕と妹の関係は、仲睦まじいとかいうのとは少し違っていて、なにかぎくしゃくしていたと思う。よくある話だが、そこに犬が居てくれたお陰で、僕らはまだギリギリ、繋がりを保てているのではないかと思う。

翌朝、あまりよく眠れなかったが、地震のことを思い出しながら、着替えてリビングに向かった。変わらず、亡骸が横たわっていた。

我が家では昔から犬や猫を飼っていた(野良猫の世話も含めて)。記憶を遡ると、雑種の犬、虎猫x2、三毛猫、茶猫、白黒の猫、茶猫の母と子x2(一匹は存命)、デブ猫、虎猫(存命)、そして昨日まで生きていた犬といった感じか。

最初に動物の死と直面し、それを理解し始めたのは、虎猫の2匹目だった(最初の犬と虎猫、ごめん……) 猫は隣の祖母が世話をしていて、かなり可愛がっていた猫だった。

その猫が泡を吹いて倒れたとき、祖母が慌ててこちらの家に来ていたのを覚えている。そして、亡くなったあと、一旦病院で綺麗にしてもらって段ボール箱に寝かされた猫の姿、その毛並みを触るとつやつやだったこと、妹とお別れの言葉を言ったことを覚えている。

また、白黒の猫が死んだ後、茶猫の子の2匹目が、弱っているのに真冬に家を出ていった後に、祖母が悲しくも優しい祈りを捧げていたことが忘れられない。

祖母はキリスト教徒なので、よく食前に祈りを捧げたりするのだが、どうか亡くなった猫たちが苦しみから解放され、天国で幸せにやっていますように、というメッセージが、僕の心を強く打った。そうだね、幸せにやっていてほしいね、と願わずにはいられなかった。

今朝、その祖母と祖父が隣から犬に別れの挨拶をしに来てくれた。祖母は犬のために祈ってくれて、祖父も合掌をしてくれた。沢山の家族に看取られて、良かったねぇ、と思うと、涙が止まらなくなる。あの光景はとても暖かかった。

斎場には昼前に行くことにして、それまでテレビを見ながら犬と一緒に過ごしていた。テーブルに安置されているのは遺体で、魂はもう無い。でも自分にはそうは思えなかった。遺体であっても、それはこの12年間共に暮らしてきた家族なのだから。

そろそろ出る時間になり、タオルを新しいものに変えたり、一緒に火葬してもらうご飯を用意したりした。母はカリカリを用意していたが、僕は犬が好きだったキャベツも持っていってほしいと思って、これが最期の餌やりかと思いながら、ポロポロ泣きながらキャベツをちぎった。

時間が来た。犬は母が抱え、後部座席に座ってもらった。僕が運転した。家を出るときに、祖父がお見送りをしてくれた。

ここが、君が暮らした家だよ。無理やり動かしてごめんね。丁寧に運転するからね。

斎場に着くと、母が用紙に色々記入したり支払いをしたりしていたが、僕は落ち着きの無い感じでロビーを歩き回ったり、トイレからペーパーを拝借して涙や鼻をふいたりしていた。

お別れの時が近づいてきた。お別れの部屋に行き、犬を台に置いた。五分くらいしたら戻ります、と担当の方が部屋を去り、僕と母は、最後に犬を撫でたり、毛に残る匂いを嗅いだりしていた。もう、この白くてふわふわでいい匂いのする犬は、旅立ってしまう。

犬は、彼女は、どう感じていたのかな。最期、苦しかっただろうか。逝くときは、母の胸に抱かれて、安心して逝けただろうか。家で母や僕らと過ごせて楽しかったかな。

それを聞く術は無い。生きていたとしても。でも、横たわったその表情を見ていると、願望かもしれないけど、最期まで愛する母と過ごせて満足しているんじゃないかと、そんな気がした。

担当の方が戻り、お線香を、ということで、自己流に線香を挿した。母も同様である。なんとなく気になって、来られなかった妹の分も挿しておいた。その行為が良いのか悪いのかは分からないが、なんとなく犬に、犬も含めた家族にやってあげられる最期のことを出来たのではないかと思って、また涙がこぼれた。

本当にお別れが目前に迫る。墓は用意できないので、今回は合同供養をしてもらうことにしていた。火葬の立ち会い、骨を拾うやつもやらない。だから、この部屋から自分達が出ていくとき、それが犬とのお別れになる。

最後に、バイバイと声をかけてあげたくて、バイバイと言ったら、思った以上に自分から泣きじゃくった声が出てしまって、それに驚いてまた泣いてしまった。

結局、部屋のなかで一度、部屋から出て一度、バイバイと声をかけて、お別れをした。扉から覗く最期の犬の姿は、口と目が良く見えた。離れて見ると、ほっとしているような、疲れきって眠っているような、そんな感じだった。

今日(木曜日)か明日には火葬されるということだったので、週末には完全に旅立っていることになる。(初七日や四十九日の概念は置いておく) 参拝、というか、祈りを捧げるスペースがあるようなので、早速週末に行きたい。

後で話したことだが、嫁さんが、わんちゃんが好きなキャベツとか持っていってあげたいねと言ってくれているので、お供えは出来ないかもしれないけど、我々と家の人達も一緒に、持っていってあげようと思う。

その後、近くで母と蕎麦を食べ、僕は会社に向かうために母に駅まで送ってもらえることになった。

母は、最期のお別れの部屋では涙を流していたが、それ以外の場面では、落ち着いていたように見えた。もうこの何週間か、仕事も休みをもらって犬と一緒に過ごし、どこに言ったね、どうだったね、とずっと話していたようだった。きっとその間に大半の涙は流してきたのだろう。

犬を飼ういくつかの心構え、みたいなコピペを昔どこかで見た気がするが、その内容を母も(ちゃんとした本から)知っていたらしく、最期の向き合いかたはこうしてあげよう、と決めていたらしい。

強い母で感心した。犬にとって最高の飼い主であったに違いない。これまで母に対して否定したくなることもあったが、この姿勢を見てその考えが変わりつつある。

僕が流す涙の一部、あるいは多くは、母に対する憐憫かもしれなかったが、それはもう大丈夫かもしれない。

午後、なんとか会社にたどり着き、さくっと作業をし、さっさと帰宅した。駅でうまそうなアボカドや豆腐を買った。

家に着くと嫁さんが迎えてくれた。汗だくだったので風呂に入らせてもらい、その後今日どうだったか、というのを話した。そこで上に書いたようなことを喋りながら、また泣いてしまった。

死んでしまった犬の姿は、死んでもなお可愛くて、可哀想で、繊細で、優しくて、感謝の気持ちが溢れてきて、これこそ尊いという気持ちなのかもしれないと思った。

最後に。あまり優しく出来ないこともあってごめんね。ドライブしたり、俺と庭を散歩したり、ご飯食べたり、寝たりして、楽しかったかな? 俺は君と過ごした時間は大切な思い出だよ。天国に行ったら、思う存分走って、食べて、寝て、遊んでね。出来れば、母のことも少し見守ってあげてね。先輩の猫たちも可愛がってくれるよ。今は、天国に行くまでは、安らかに眠れますように。それじゃ、バイバイ。

本を持つ意味

 同棲を始めようと思い、実家から新居に持っていくものを考えていた。服、靴、パソコン、カメラ、PS4、ゴルフ用具、風呂用具、かばん類、仕事・カード関係の書類、お酒、文房具、あと細々した電子機器を持っていけば問題なく暮らせそう。しかし、それに加えて本や漫画、BDといったかさばるものを持っていくかどうかという点で悩んでいる。BDについてはそんなに多くないのでとりあえずあるだけ持っていこうかと思うが、本と漫画については数・種類が多い上に、全部が全部定期的に読み返しているわけでもないので、何を持っていけば良いのかわからない。

 本の種類は大まかには、学生時代の教科書、外国語関係の参考書、スポーツ関係の指南書、哲学・自己啓発的な本、様々な新書、小説、画集・図鑑、雑誌(ムック)、写真集……といった感じで分けられると思う。外国語とスポーツ関係は何度も使っているのでこれは持っていきたいが、果たしてそれ以外の本はどうなのか? 最近読み返したことがあるのか?(いや、ない) じゃあなんで俺は本を買って売ったり捨てたりせずに後生大事に保管しようとしているのか。それもわざわざお金かけて本棚まで作って!(本棚を作ること自体のが一つの趣味であることは否定しない)

 そもそも、本を読むことは①新しい知識、考え方、感動の獲得、②かつて得た知識・考え方・感動の確認、③それらの懐古に役立つと考えられる。①は基本的には最初に読むときで、②と③は最初でも何回目かでも成立する。それらの体験から、なにか新しいものを設計できるようになる、事件が起きたときに共感できるようになる、何か検討するときのエビデンスにする、青春時代を懐かしむ、といった方向に発展してくのではないだろうか。そのように役に立つ本を家に置いておく=読んだあとに保管するという意味はなんだろうか。

 ①については、今まさに読んでおり、保管するという前の段階なので、ここでは考えないことにする。

 ②については、大抵の人間は読んできたすべての本の内容を丸暗記出来るわけではないので、昔読んだあれを参考にしたいと思ったときに、家に本が保管されていると、すぐに参考にできる。背表紙を眺めて、確かこれに書いてあったかも、と思い出すことも出来るかもしれない。そのような場面で、本が家にあれば、わざわざ図書館に行ったり買い直したりする必要はない。また、本が絶版になってしまったり、そもそも数が出ていない本だったりすると、他では読めない可能性もある。

 ③については、ふと本を読み返したくなったときにすぐに読み返せる自由がある。また、背表紙を眺めて、これはこういう時代に読んだな、こういう気持ちだったな、などと思い出に花を咲かせるのも一興である。もうどこにも売られていない本や、自分でも読んだことを忘れてしまった本なんかでも、手元に保管していれば、それが過去の甘い記憶を呼び起こすきっかけになるかもしれない。

 となると、本を読む本来の目的を活かしながら本を保管する意味は、自分の好きなタイミングですぐに読めるという速達性の確保、自分にとって貴重な本が読めなくなるというリスクや、読んだことを忘れてしまうリスクを減らすための継続性の確保(良い言葉が思いつかない)、この二点ということになるだろうか。

 いや確かに、本を保管しておくことで、これが俺の本棚なんだとラインナップを見せびらかしたり、好きな本が並んでいることにうっとりしたりすることは本を保管していないと出来ない。しかしそれは本を読む目的とは関係なく、結果としてそういうことが出来るというだけである。それを目的にすることは、自己規定・自己顕示を第一の目的としており、本を読むことを二の次にしている。それが自分の個性や自己肯定感にポジティブに作用し人生にメリットが生じるなら、まぁそれはそれでいいのかもしれない。(例えばもう読まない大学時代の教科書を後生大事に取っておくことなど)

 果たして今自分が持っている本の中で、速達性・継続性が重要な本というのはどれが相当するだろうか。速達性は、まさに仕事や勉強で使っている本や、頻繁に読み返したくなる本に対しては重要である。継続性は、本当に心から思い出深い本や、結構貴重だと思っている本にとっては重要であろう。

 ここで、今回こうあれこれ悩んでいる理由を振り返ってみるが、それは実家から出て同棲を始めるというものである。果たしてその新居に、わざわざ貴重な本を持っていく必要はあるのだろうか?(いや、ない) 今回の最終的な結論としては、今まさに仕事(自己研鑽含む)や勉強(スポーツ、外国語)で使いそうなもの、それ以外で読み返したくなるものだけ選別して持っていくことにしよう

 なお、この内容を漫画に当てはめると、速達性が必要な漫画というのは読み返すことが必要なもの=新刊を買っているシリーズ、完結してるが頻繁に読み返すものは持っていったほうが良さそうである。

 では実家に残した本や漫画はどうなるか? 時が来たら思い出の賞味期限が来て処分することになるか、年に一度帰ったときに背表紙を眺めて思い出に浸り、やがて子や孫がその本棚からこっそり本を拾って読み始め、それを知ってから知らずか僕は日の当たるリビングで満足気に一杯のコーヒーを飲みながら(以下略

 ここで唐突に電子書籍についてであるが、今まで読んできた本や漫画がもしすべて電子書籍化できるとしたら、自分にとってどういうメリットがあるだろうか? 好きなタイミングで読めるどころか、家にいなくても、出張先の海外からでもアクセスさえできればどこででも本が読める。家事で焼失するようなこともない。場所も取らないからもう好きなだけ本を保管できる(読める限りは) 速達性と収集の観点では何も問題がない。VR空間に本棚を作れば、麻帆良学園図書館島だって自分のラインナップで再現できる。そんな中で背表紙を眺めてあ~昔よんだな~と思いを馳せる……最高ではないか。

 でも、やはり本を広げて読むという体験は、いまだ電子書籍では得難いものである。電子書籍の場合は、正直結構読んだことを忘れてしまう。VR/AR本棚と、実物の本(超高密度な自動書庫に保管、あるいは全ページ何かしらの方法で書き換え可能な本に印字する)の組み合わせというのが出来たら面白いなと思った。

2018総括

 今年の総括。

【悪いこと】
・仮想通貨・株で損を出した(出している)
 お小遣い程度ではあるが損をしている状態になっている。損切りできるようになりたい。株は、長期のトレンドを見れば買うべきではなかった。超初歩的なダメ案件。ただ、技術的には信頼できる、が、株価というのはそれだけではないということが分かった。投資信託は今はアレだがまぁ塩漬けでいいや。

・家族が病気になった
 脳梗塞。完全に回復するには至っていない。家族の関係が少し良い方向に変わったような気もする。だけど俺が何に貢献できているのかは分からない。

・異動先の部署が微妙(な点がある)
 技術職とはいうものの、プロジェクト管理中心で、自分では手を動かさない、自分の得意なこと(設計?おこがましいか)が出来ない。英語を使えるようになったり出張させてもらえるのはいいし、技術的にもまぁバックグラウンドは広がっている気もするが、深く掘るということが出来ていない。でも、前の部署でも最初の成長以外は、惰性で持てる力を発揮するだけだった気もする……? ただ逆に、目の前に転がっている仕事が本当に少なくなったために、一気に仕事を片付ける癖がつけられている気がする。これは良い経験である。書類を残す、という観点では、やはり微妙。どうしたら書物を残せるようになるんだ。そもそも論理的な文章を書けない病気(訓練不足)?

【良いこと】
・海外経験(旅行+出張)
 去年の年末年始にスコットランド、4月に異動してから4回ほどイギリスに行って、完全にグレートブリテンに酔心している。アメリカ関係の仕事もしているのでワンちゃんアメリカにも行ってみたい。あわよくばアメリカ→イギリス→日本の世界一周出張もしてみたい。英語力については多少向上していそうな気もする。ただ、電話はまだ苦手だし、内容を伝えるのに言葉だけじゃなくてパワーポイントのスライドがないと十分に伝えることが出来ない。(スライドに頼っている) ロジカルに話す訓練と、言葉がスラスラ出てくるようになる必要があると感じた。クイーンズイングリッシュを学びたい。

・部屋の整理ができた
 押し入れにしまいこんでいたいろいろなもの、古い自作PCパーツとその箱、拾ってきたACアダプタ、古い家電・枕・毛布を処分した。なぜ取っておいたのかという気持ちもあるが、思い出の賞味期限がまだ残っていたのだろう。気になったものは写真を撮って自分の中の気持ちを整理した。

・国内旅行ができた
 キャンプに行ったり、美術館に行ったり、花火見たり海水浴したり、川でBBQしたり、サイクリングしたり、スキーしたりした。そういえば2018シーズンも2回位スキーしてた。とても充実している。

・彼女ができた
 えへ。

【来年やること】
・英語
・将来(家族、一人/二人暮らし、キャリア、お金)
・趣味(ゴルフ、スキー、DIY?)

ゆく年くる年

 新年明けましておめでとうございます。今年の冬休みは有休をぶつけて12連休にできました。社会復帰できる気がしません。

 昨年、プライベートでは何があったかな~と今更になって思い返してみると以下のような感じ。

  1. 運動(水泳、ゴルフ、自転車、スキー)
  2. お酒
  3. アニメ
  4. 音楽
  5. 電子機器
  6. 語学

 自分のことを家に篭りがちなオタクだと思っていたのですが、意外と運動しているオタクだという事に気付きました。ただ瞬発力>持久力なので、ゴルフの後半は腕が馬鹿になっちゃっていてスコアが下がること、スキー・水泳も上半身がグダグダになることから、今年は腕と上半身の持久力、スタミナをつけたいと思いました。自転車をそれなりに乗れるのは、下半身をメインに使うこととあとは補給食を意図的に食べているからですかね。ゴルフでもラウンド中になんか食べよう。

 水泳は夏には良いですね。ゴルフ→水泳の流れは最高でした。上野で水着とゴーグルを買って何回か市営プールに行った気がします。スキーはSAJの2級あたりを目指したいなと思いました。小回りとか素早いターンはまだ苦手なのですが、大回りは何とか出来ているレベルと思うので。板をずらさずに、雪を圧縮して、水の上を滑るようにツルっと滑れると、気持ち良いですね。ゴルフの感想は、実は別のブロクを初めているので、そこに書こうと思います。

 お酒については3月36日に上諏訪の日本酒イベント、5月29日に池袋の日本酒イベント(酒ふくろう祭)、11月20日にウィスキーフェスに行きました。上諏訪の本金は良かったですねぇ。ウィスキーはグレンロセスが上品で良かったです。お店で印象的だったところは、デビルクラフトの五反田店ですかね。おしゃれでした。そしてやっぱりシカゴピザが日本一うまい(ここ以外で食べられるところを知らない)。あとはあまり開拓できなかった気がします。

 自分の家で飲んだお酒としては、ふるさと納税で貰った、秋田 高清水の大吟醸 瑞兆しずく取りが美味しかったです。トロっとしたお酒というのを久しぶりに飲みました。香りも穏やかで良かったですねぇ。あとは元から好きな仙禽のクラシック仙禽 山田錦も、お米から出来たものとは思えないフルーティーさがあって美味しかったです。米違いや、非クラシック(?)なものも試したいです。

 アニメは君の名は。が今世紀最強の映画だったということで。あとBDをしこたま揃えていまして、BOXは葵より青し、フルメタARIA、夏待ち、COWBOY BEBOP、映画は新海誠系(一時期品切れが凄かった)、ユーフォ、ここ叫、バケモノの子、シリーズ物は終末のイゼッタ(早見沙織さん……)、ハイスクールフリート(かわいい)を買いました。半分積んでいます。

 来年も相変わらず観たいと思っているのですが、量が追いつかないのが悩みです。また、新作アニメは真剣に見るのが何本かあり、それ以外はゲームしながら時々見る感じなので、申し訳ないなと思っています。そういうBGVに買ったBOXのアニメを流すとかしたいですね。

 音楽はひたすらRavelとPoulencを聴いていたのですが、年末にProkofievという作曲家を知り、ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26をメインに聴いています(それしかデータを所持していない) メロディがファンタジック・ミステリアスで、ピアノがキラキラしている曲が好きです。Amazon Prime Musicで他の曲を聴けることが分かったので、手を広げてみたいと思っています。

 電子機器はSONYのHMZ-T3、パイオニアのスロットインBDドライブ、PS4が大きなものですね。HMDは、PS VRは買う予定なんですが、映画見るにはこっちのほうが良いのでは?と思い中古を買いました。使いこなせていません。PS4もあまりやりたい!っていうゲームが無くて完全にPS VR待ちです。BDドライブは手元でディスクを挿入できて便利になりました。昨年夏頃に買ったdp1Qは使いこなせていません……。

 最後に語学としては、ロシア語をやろうとして、新書を読んだり教科書的なものを買ってみたりはしたものの、いまいち進捗がありません……。必要性、目的がはっきりしていないからですね。英語は、会社で教育を受けさせて貰って、英会話をやりました。まぁ気を使って貰えればコミュニケーションは取れそうということが分かりました。海外出張したい。

 仕事については、頭を抱えるような反省は会社の週報シートの余白にメモしているのであまり覚えてませんが(それでいいのか)、挙げるとすると

  1. 出張(長距離のものが20回位)
  2. 年始の出図ラッシュ
  3. 年末のレビューラッシュ
  4. プロジェクトのグダグダ感
  5. 進んでいる感
  6. 上司宅訪問(仕事?)
  7. チームワークの無さ

 が印象的でした。

 個人プレーの集合体なんですよね。攻殻みたいになれば良いんでしょうけど、やべぇ!と思ってやり始めた人がやる。その人に仕事が押し付けられる。いやそれでいいのか?

 自分自身の仕事の進め方は、なんとなく進歩してきた感はありますが、チームで動くということがまだ出来ていないように感じます。つまらない仕事押し付けてもしょうがないし、かと言って難しすぎる仕事を依頼しても……というところで、自分のやること・やらないことはっきりしていないことが、関係者に迷惑をかけてしまっている気がします。まだ甘えてしまっています。

 来年から独り立ちと言われていて、全部の仕事を上司から押し付けられそうな気がしていて不安を覚えます。全てを俺がやる必要はない、出来る人がやれることをやる、一方でまだ出来ないことも学ぶ必要がある。あれかな? 出来るようになれば人に任せてもいいのかな? というか仕事の割り振りは上司がやるべき仕事なのではないか? 立場を言い訳に仕事を押し付けられている気がしますが、それが今の担当の仕事なんだと理解し、致命的な問題がなければ、続けたいとは思っていますが。何かしら不安・不満がある状況です。

 来年は極力自分で手を動かさず、可能な限り人に押し付けていくスタイルを強化していきたいです。技術者としてどうかっていう話ですが、今何か技術的なことやっているのかなぁ……仕事回してるだけだよなぁ……。何かの専門家になるつもりでしたけど結局シンプルなサラリーマンとして会社に従事しつつ、時々面白みを見つけていくしかないのかなという諦めに近い感情が芽生えています。ただ、熱機関を作るという夢には到達している気はします。機械設計だけでなくてサイクルとか熱収支とか伝熱とか、そういう所にも手を広げる必要があると思っているんですが。

 とあるアニメで、この仕事は自分以外でも出来る、他に適役が居たかもしれない。では何故自分がやるのか? それは運もあるだろう、けど今大事なことは自分がそれをやりたいという気持ちなんだ、俺がやらなくて誰がやるんだ、というのがあって、そういうシチュエーションでモチベーションを高められるのは良いなと思いました。一種のリーダーシップだと感じました。

 なりたい姿が分からない。会社の誰かみたいになりたい、と思うことはあるんだろうか。格好良いと思うおじさまは何人か居ますが。手始めに、誰かみたいになりたいという人が居ないかを、探してみようと思います。

何なんだろ

 努力の仕方がわからない→努力したくない(逃避)→努力しなくて良い仕事がしたい(開き直り)

 今の仕事で、普段から努力できることがあるとしたら、それはどんなことだろうか。

 材料力学の勉強、流体・熱力の勉強 → 何を今更……って思ってしまうこともあるが、必要なのではないか? いやでも、何をすればいいんだ? そもそも、仕事中にその辺りの知識不足で困ったことはあるか? いや、ない。だって専門家がやってくれるから。強いて言うと材料力学は必要だけど、最低限のことは分かってるつもりだし……FEMで評価しちゃうし……ただ、強度評価っていう点では学ぶことがあるかもしれない。でも大体会社のやり方で評価してて、その辺の教科書読んで出来るものではないんだよな……。

 CADの練習、FE解析ツールの使い方習得 → そんなのは使いながら覚えればよい。

 仕事の回し方 → うん、これは学ばないといけないかもしれない。効率よく。後戻り無く。前者については、仕事していたら自然と報告書が出来るような仕組みづくり。後者については、必要なチェックを上司に振り、レビュを受け、後で何か言われても「お前ら良いつったろ?うるせぇ俺はこれですすめる」みたいな強い気持ちが必要。俺が納期を守る。

 設計のやり方 → 色んな境界条件の中から形を決めていくことだと思ってるんですけど……設計のフレームワーク、方法論、テクニック、そういうのがあれば、学ぶのもいいかもしれない。

 俺の仕事ってなんなんだ? 工学の知識は必要だけど、境界条件が明らかであれば誰にでもできる仕事なんじゃないか。熱流体について考えず、一意に決まる事を探すだけだったら今の機械に関わる意味って無いんだよな。それは言い過ぎかもしれないけど。

 っていうか結局、具体的に何をしたいか分かってないんだよな。そこに不満があって、それを仕事のせいにしていたら、結局逃げ続けるだけになってしまうのではないか。

 あるいは、具体的にやりたいことなんてないのかもしれない。ただ、お前にはこの仕事は出来ない、みたいな考えに対して、うるせぇ見返してやる! みたいな原動力はあるかもしれない。

 忘れもしないあの研究室配属のあの日、こんなはずじゃねぇ、この俺が、あり得ない!と、結局自分が悪いだけなんだけど、仮想敵(大学)を作って、見返してやるという気持ちがあった。あるいは、周りの人たちに対して、俺はこんなもんじゃねぇってのを示したかったのかもしれない。

 ただ、最終的に見返す(?)ことは出来たけど、そこで何か成し遂げられたかというと、そうではないんだよなぁ。自分の憧れだけを追及して、自分に何が出来るかなんて考えていなかったのかもしれない。

 自分に何が出来るか……無駄なことはしたくない、面倒くさい、寝たい、パソコン使うのはちょっといける、簡単なスクリプト位だったら扱える、4力はそこそこ把握してる、加工についても若干は承知している、境界条件を把握するのはそこそこ出来る。人とのやり取りも人並みには出来る。ただ、細かい作業とか、丁寧な作業とかはちょっと苦手。特に、履歴を残さない。勢いで仕事をする癖がある。

 勢いで仕事しても良いけど、何やったかを残す仕組みづくりはしたいな。

 でも一番好きな瞬間は、集中してテストをグワァーって解いて、解き終わった瞬間なんだよなぁ。頭使った~!って気分になって良い。そういう体験を積み重ねていきたい。

(全くまとまりがない……)

努力

 眠れない。

 高校時代からずっと、努力を苦手としていることについて悩んできた。今もあまり変わらない。

 努力したくない。でも、最近ゴルフの練習にハマったりしている。

 自発的な努力(しかも自分では楽しんでいるだけで努力と思っていない)はいいけど、強いられるような努力は嫌だ、みたいなことは以前気付いた。だから嫌なことは楽しめるような仕組みづくりが必要、ということも。

 あと、大昔自分が救われた概念として「Don't think」というのがある。文字通り考えるな、という意味で、勉強辛い……みたいなことを思ってもそれを考えないようにした結果、多少勉強が出来るようになった。今思うと、余計な感情を排除できたことが良かったのかなと。感情に動かされるなみたいなことも聞くし。

 でもそう考えると、楽しんでやっていることって「楽しい!」って感情がモチベーションになっているわけで、感情に動かされるなという考え方には反するよな。まだ考えることがありそう。


 今日はとある映画館で劇場版の響け!を観てきた。絵は綺麗だし結構コミカルなシーンもあって面白いし演奏は格好良かったしでとても良かった。でも、ヒロインの中に「上手くなりたい」という気持ちが芽生えたところは、感情移入しきれなかった。俺はこんな風に悔しさを感じられたことがあったかなぁと思い、ヒロインに対して勝手に距離を感じてしまった。目標に向かってコツコツ努力してるし、その上あんな泣くほど上手くなりたいって思えることが羨ましかった。

 彼女の上手くなりたいっていう気持ちは、どこから来てるんだろう。自分だけ難しい部分の演奏を外されたことに対する悔しさ・恥ずかしさ、自分が部分的にでも演奏に参加できずチームの役に立てないことへの悔しさ、オーディションに落ちた先輩への後ろめたさ、全国大会は今以上に大変なのに地区予選の段階ですら技術が足りていないことへの不安……そして、そもそもこういった思いが生じた瞬間というのは、彼女自身が練習して努力して力をつけていたと思っていたが、結果は自分が思ったほどではないということを突きつけられた時だと思う。そのギャップを知った時に生まれた負の感情を解決するために、自然と上手くなりたいっていう気持ちが芽生えているのではないか。

 悔しさをバネにとはいうが、悔しさをプラスのモチベーションに、生産的な行動に結び付けられる人は強い。それが羨ましかった。

習慣

 気がついたら1年近く更新していなかった。

  • 習慣付け
  • 定量的目標
  • プレッシャー
  • モチベーション

 そんなことについて考えているけどいまいちそれぞれがリンクしない。

 あと

  • 設計は関係性を明らかにする仕事なのでは
  • 家計簿を1ヶ月放っておくと1万円以上の誤差が生じる
    • あまり考えず金を使っているのでなんとなく倹約したい
    • 現金の出入りをどう記録するのか
  • ゴルフを始めた
  • HMZ-T3を買った
  • スロットローディングのBDドライブを買った
  • BDを色々買ってる(はいふりガルパン劇場版、心が叫びたがってるんだ、COWBOY BEBOPARIA彼女と彼女の猫バケモノの子、あの夏、オネアミスの翼迷宮物語、プレアデス)
  • 漫画を色々買ってる(略)
  • 腕時計を買った(SARX021
  • プールに行くようになった
  • 130i欲しい

 などなど。では。