Null Wota Exception

ヌルヲタアラサーがなんか適当に吐き出すところ

実家の犬が死んだ

昨晩、実家の犬が死んだ。ミニチュアダックスフントの女の子、推定16歳だった。あからさまな病気や事故などではなく、老衰だったと思う。

半年くらい前から、歩き方がよぼよぼになってきたなと感じていた。壁にもぶつかったり、ちゃんと立てずに後ろ足が広がったりもしていた。

1,2ヶ月前、かなり調子が悪くなり、実家の母が仕事で外出している間、昼前に寝た姿勢から動けない状態で夜まで過ごしており、排泄物なども大変なことになっていた、という連絡を受けた。

母が仕事で外出する時には、いつもなら早めにお昼ご飯を食べさせておけば、外出中は犬が自分でシートにおしっこしたり(※うまくいけば)水を飲んだりして過ごせていた。

それが出来なくなっているということなので、妹な僕(両方実家を出て近郊に暮らしている)が昼御飯や排泄の補助をしていた。

緊急事態宣言が出されたころだったの で、リモートワークの昼休み(12-13時)に自転車で40分ほどかけて実家に戻って世話をし、13時からそのままテレコンをし、終わったらまた自転車で家に戻る、ということをやったこともあった。

その時には、ご飯も食べるし、補助をしてあげれば立てて、自分でおしっこもうんちも出来る状態だった。

ここ一週間を振り替えると、タイムズカープラスのナイトパックが安いから、とか言って嫁さんと夜のドライブをしつつ実家に寄ったり、今日は嫁さんは仕事が遅いもんで実家で飯食べたいからと寄ったり、友人とのサイクリングで多摩川で別れたあと、帰る前に休憩が必要とか言って寄ったり、あれこれ理由をつけて度々実家に顔を出していた。

犬を見るたびに体がやつれていくのが分かり、大好きなキャベツやスイカも食べないということで、これはもうそろそろか……と感じていた。

昨晩(水曜)の8時頃、母から家族LINEに犬が逝ったと連絡が入った。気の抜けるようなため息が出て、次に、少し安堵のような気持ちが芽生えたと思う。苦しかったろう、楽になれたね、と。それは、いつ逝ってしまうんだろうと、常に犬の側に居た母の不安、逆に、行こうと思えば行けたが、きっとその瞬間には立ち会えないかもしれないという僕と妹の不安が、解消されたことに対する安堵感でもあったかもしれない。

動物の火葬・供養をやってくれる所が近くにあるようなので、そこまでの車の運転(※実家の車です、念のため)を自分が引き受けることにし、それなら前入りしたほうがいいと、翌日の通勤も考慮しクールビズと部屋着の間のような格好をして、すぐに実家に戻った。

本当は、前入りしたほうがいいから、カーシェアが安いから、なんていうのは些細なことで、犬に会いたかったんだが、素直になれないのは僕の性質だろうか。

犬の生前、そんな僕がうじうじしているのを嫁さんが見て、犬が「xx(名前)、来いよな!」って呼んでるよ、と発破をかけてくれた。それがとても嬉しかった(最高の嫁さんです)

一時間後、実家に着くと、リビングのローテーブルの上にマットやタオルが敷かれ、その上に亡骸となった犬が安置されていた。脇には、季節の青色の花々が飾られていた。

亡骸は、死後硬直になる前に、前足と後ろ足が近づくように、そして顔は前を向くように動かされていた。まるで、原っぱを駆け抜けてジャンプしている姿のようだった。

まだ温かいよ、という母の言葉の通り、亡骸に触れると、まだ温かさが残っていた。その体温や、さらさらでふわふわな毛並みを撫でてながら、呼吸や心拍が無いことが手のひらから伝わってきて、涙が溢れてきた。

瞼は開いており、固くて動かないようだったが、可哀想なので少し閉じさせてもらった。その隙間から覗く深い眼球は、光を失っていた。もう白目を向いたり、表情を僕らに示してくれることもない。

遺体が悪くならないよう、保冷剤を持ってきていたのだが、昨日の晩は雨も降っており涼しく、沢山は必要なかったようだった。

その晩は犬はリビングに寝かせたまま、母と僕はそれぞれの寝室で、犬との最期の夜を過ごした。

犬が家に来たのは、僕が大学二年の頃だった。母が施設から引き取ってきたらしい。

最初の頃は、犬の表情が固く可愛く感じられず、また吠えて煩かったり、排泄に失敗したり臭いが部屋に入ってきたりといった事が続き、憤りを感じていたかもしれない。

しかし、家族でドライブしたり、田舎の親戚の家に行ったり、なんやかんやしている内に、犬が家族を繋ぎ止める役割を担うようになりつつあった。母が溺愛しているのを見て、しょうがないなぁと思いつつも、面白いと思う部分もあって、僕も妹も、犬と何か遊んでそれを家族で楽しむ、ということが良くあったと思う。

僕と母、妹と母、僕と妹の関係は、仲睦まじいとかいうのとは少し違っていて、なにかぎくしゃくしていたと思う。よくある話だが、そこに犬が居てくれたお陰で、僕らはまだギリギリ、繋がりを保てているのではないかと思う。

翌朝、あまりよく眠れなかったが、地震のことを思い出しながら、着替えてリビングに向かった。変わらず、亡骸が横たわっていた。

我が家では昔から犬や猫を飼っていた(野良猫の世話も含めて)。記憶を遡ると、雑種の犬、虎猫x2、三毛猫、茶猫、白黒の猫、茶猫の母と子x2(一匹は存命)、デブ猫、虎猫(存命)、そして昨日まで生きていた犬といった感じか。

最初に動物の死と直面し、それを理解し始めたのは、虎猫の2匹目だった(最初の犬と虎猫、ごめん……) 猫は隣の祖母が世話をしていて、かなり可愛がっていた猫だった。

その猫が泡を吹いて倒れたとき、祖母が慌ててこちらの家に来ていたのを覚えている。そして、亡くなったあと、一旦病院で綺麗にしてもらって段ボール箱に寝かされた猫の姿、その毛並みを触るとつやつやだったこと、妹とお別れの言葉を言ったことを覚えている。

また、白黒の猫が死んだ後、茶猫の子の2匹目が、弱っているのに真冬に家を出ていった後に、祖母が悲しくも優しい祈りを捧げていたことが忘れられない。

祖母はキリスト教徒なので、よく食前に祈りを捧げたりするのだが、どうか亡くなった猫たちが苦しみから解放され、天国で幸せにやっていますように、というメッセージが、僕の心を強く打った。そうだね、幸せにやっていてほしいね、と願わずにはいられなかった。

今朝、その祖母と祖父が隣から犬に別れの挨拶をしに来てくれた。祖母は犬のために祈ってくれて、祖父も合掌をしてくれた。沢山の家族に看取られて、良かったねぇ、と思うと、涙が止まらなくなる。あの光景はとても暖かかった。

斎場には昼前に行くことにして、それまでテレビを見ながら犬と一緒に過ごしていた。テーブルに安置されているのは遺体で、魂はもう無い。でも自分にはそうは思えなかった。遺体であっても、それはこの12年間共に暮らしてきた家族なのだから。

そろそろ出る時間になり、タオルを新しいものに変えたり、一緒に火葬してもらうご飯を用意したりした。母はカリカリを用意していたが、僕は犬が好きだったキャベツも持っていってほしいと思って、これが最期の餌やりかと思いながら、ポロポロ泣きながらキャベツをちぎった。

時間が来た。犬は母が抱え、後部座席に座ってもらった。僕が運転した。家を出るときに、祖父がお見送りをしてくれた。

ここが、君が暮らした家だよ。無理やり動かしてごめんね。丁寧に運転するからね。

斎場に着くと、母が用紙に色々記入したり支払いをしたりしていたが、僕は落ち着きの無い感じでロビーを歩き回ったり、トイレからペーパーを拝借して涙や鼻をふいたりしていた。

お別れの時が近づいてきた。お別れの部屋に行き、犬を台に置いた。五分くらいしたら戻ります、と担当の方が部屋を去り、僕と母は、最後に犬を撫でたり、毛に残る匂いを嗅いだりしていた。もう、この白くてふわふわでいい匂いのする犬は、旅立ってしまう。

犬は、彼女は、どう感じていたのかな。最期、苦しかっただろうか。逝くときは、母の胸に抱かれて、安心して逝けただろうか。家で母や僕らと過ごせて楽しかったかな。

それを聞く術は無い。生きていたとしても。でも、横たわったその表情を見ていると、願望かもしれないけど、最期まで愛する母と過ごせて満足しているんじゃないかと、そんな気がした。

担当の方が戻り、お線香を、ということで、自己流に線香を挿した。母も同様である。なんとなく気になって、来られなかった妹の分も挿しておいた。その行為が良いのか悪いのかは分からないが、なんとなく犬に、犬も含めた家族にやってあげられる最期のことを出来たのではないかと思って、また涙がこぼれた。

本当にお別れが目前に迫る。墓は用意できないので、今回は合同供養をしてもらうことにしていた。火葬の立ち会い、骨を拾うやつもやらない。だから、この部屋から自分達が出ていくとき、それが犬とのお別れになる。

最後に、バイバイと声をかけてあげたくて、バイバイと言ったら、思った以上に自分から泣きじゃくった声が出てしまって、それに驚いてまた泣いてしまった。

結局、部屋のなかで一度、部屋から出て一度、バイバイと声をかけて、お別れをした。扉から覗く最期の犬の姿は、口と目が良く見えた。離れて見ると、ほっとしているような、疲れきって眠っているような、そんな感じだった。

今日(木曜日)か明日には火葬されるということだったので、週末には完全に旅立っていることになる。(初七日や四十九日の概念は置いておく) 参拝、というか、祈りを捧げるスペースがあるようなので、早速週末に行きたい。

後で話したことだが、嫁さんが、わんちゃんが好きなキャベツとか持っていってあげたいねと言ってくれているので、お供えは出来ないかもしれないけど、我々と家の人達も一緒に、持っていってあげようと思う。

その後、近くで母と蕎麦を食べ、僕は会社に向かうために母に駅まで送ってもらえることになった。

母は、最期のお別れの部屋では涙を流していたが、それ以外の場面では、落ち着いていたように見えた。もうこの何週間か、仕事も休みをもらって犬と一緒に過ごし、どこに言ったね、どうだったね、とずっと話していたようだった。きっとその間に大半の涙は流してきたのだろう。

犬を飼ういくつかの心構え、みたいなコピペを昔どこかで見た気がするが、その内容を母も(ちゃんとした本から)知っていたらしく、最期の向き合いかたはこうしてあげよう、と決めていたらしい。

強い母で感心した。犬にとって最高の飼い主であったに違いない。これまで母に対して否定したくなることもあったが、この姿勢を見てその考えが変わりつつある。

僕が流す涙の一部、あるいは多くは、母に対する憐憫かもしれなかったが、それはもう大丈夫かもしれない。

午後、なんとか会社にたどり着き、さくっと作業をし、さっさと帰宅した。駅でうまそうなアボカドや豆腐を買った。

家に着くと嫁さんが迎えてくれた。汗だくだったので風呂に入らせてもらい、その後今日どうだったか、というのを話した。そこで上に書いたようなことを喋りながら、また泣いてしまった。

死んでしまった犬の姿は、死んでもなお可愛くて、可哀想で、繊細で、優しくて、感謝の気持ちが溢れてきて、これこそ尊いという気持ちなのかもしれないと思った。

最後に。あまり優しく出来ないこともあってごめんね。ドライブしたり、俺と庭を散歩したり、ご飯食べたり、寝たりして、楽しかったかな? 俺は君と過ごした時間は大切な思い出だよ。天国に行ったら、思う存分走って、食べて、寝て、遊んでね。出来れば、母のことも少し見守ってあげてね。先輩の猫たちも可愛がってくれるよ。今は、天国に行くまでは、安らかに眠れますように。それじゃ、バイバイ。