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Null Wota Exception

ヌルヲタアラサーがなんか適当に吐き出すところ

乖離

 物事を先延ばしにする人は自己肯定感が低い可能性があるというのを読んで、そうなのかもしれないなーと。理屈は分からないけど、結果的に自分も自己肯定感が低いから先延ばしにしてしまうのではないかという点で。出来なかった結果を見るのが怖くてやり出せないのかな。この前の試験前、勉強できないーと言っていた時と同じか。

 この前はまぁとりあえず楽しもう、というような脳天気なスタンスでなんとかやり過ごしたけど、院試の時にはその方法を試みる前に、心折れて文字通り挫折した。この前はわずかでも出来る見込みがあったというのもあったし、土壇場で行動出来ていたから院試とは比較できないかもしれないけど。


 クラナドを見た。どうしてああなったのかはゲームをやるともう少し分かるのかもしれないけど、まぁいい。主人公が救われている様に感動した。

 それ見てて思い出したんだけど、俺は以前、自分に子供が出来る夢を見たことがある気がする。その時に感じた、責任感とか、愛情(?)とか、そういうのがごっちゃになって押し寄せてくるような気持ち、それも思い出した。別に悪い気持ちではないので、子供か……欲しいな……なんて気の早いことを考えもした一方、その気持ちというのは相手のことを考えない、自分勝手な感情なのではないかという不安も感じた。

 自分のことばかり考えている人間が、まともに子育て出来るのかどうか怪しい。ましてやこんな悲観的な人間が。あと相手がいるかという問題もある。

 まぁそれはともかく、夢で見た時の気持ちはなんだろうなー。もしかしたら単純に小さな生き物に対する憐れみみたいなのと同じ感情なのかもしれない。しかし憐れみというのもまた……一歩間違えたら憐れんでる自分偉いみたいなモチベーションになりかねない。


 家族を作れるか作れないか、作るか作らないか分からないけど、これだけは欠かせないという要件として、持続可能性があるかどうかを考えている。人間は変わっていくから折り合いを付けなければならない時が来る。その時に柔軟に対応出来るような思考をしているだろうか。ここだけは曲げられないという部分が干渉しないだろうか。固有値が正だから発散(破局)しますみたいなことは避けたい。

 また、仮に持続出来ていても、それが屈折した感情によるいびつな構造によって支えられてて、幸福になることを妨げているようなのも困る。順当に正しい愛情同士で向き合っていきたい。だけどそれが何なのかよく分からない。そういうのは家庭によって全然違うのかな。ふと思ったけど映画とか小説とかで学べそう。


 まぁ、自己肯定感の低さは何なんだろう。弱者は救われるというような気持ちがあって、あえて弱い方向に見ているのかもしれない。賢いこと、強いことには、賢くないといけない、強くないといけないという責任が生じると思っている。弱ければ出来ないことに対して言い訳ができる。下手に自信を持ってやってみて失敗したら、それって結構残念な印象を与えるから、あまりしたくない。ただでさえ小さい他人からの評価をこれ以上下げるようなリスクを取りたくない。そのへんかな……。