Null Wota Exception

ヌルヲタアラサーがなんか適当に吐き出すところ

努力

 眠れない。

 高校時代からずっと、努力を苦手としていることについて悩んできた。今もあまり変わらない。

 努力したくない。でも、最近ゴルフの練習にハマったりしている。

 自発的な努力(しかも自分では楽しんでいるだけで努力と思っていない)はいいけど、強いられるような努力は嫌だ、みたいなことは以前気付いた。だから嫌なことは楽しめるような仕組みづくりが必要、ということも。

 あと、大昔自分が救われた概念として「Don't think」というのがある。文字通り考えるな、という意味で、勉強辛い……みたいなことを思ってもそれを考えないようにした結果、多少勉強が出来るようになった。今思うと、余計な感情を排除できたことが良かったのかなと。感情に動かされるなみたいなことも聞くし。

 でもそう考えると、楽しんでやっていることって「楽しい!」って感情がモチベーションになっているわけで、感情に動かされるなという考え方には反するよな。まだ考えることがありそう。


 今日はとある映画館で劇場版の響け!を観てきた。絵は綺麗だし結構コミカルなシーンもあって面白いし演奏は格好良かったしでとても良かった。でも、ヒロインの中に「上手くなりたい」という気持ちが芽生えたところは、感情移入しきれなかった。俺はこんな風に悔しさを感じられたことがあったかなぁと思い、ヒロインに対して勝手に距離を感じてしまった。目標に向かってコツコツ努力してるし、その上あんな泣くほど上手くなりたいって思えることが羨ましかった。

 彼女の上手くなりたいっていう気持ちは、どこから来てるんだろう。自分だけ難しい部分の演奏を外されたことに対する悔しさ・恥ずかしさ、自分が部分的にでも演奏に参加できずチームの役に立てないことへの悔しさ、オーディションに落ちた先輩への後ろめたさ、全国大会は今以上に大変なのに地区予選の段階ですら技術が足りていないことへの不安……そして、そもそもこういった思いが生じた瞬間というのは、彼女自身が練習して努力して力をつけていたと思っていたが、結果は自分が思ったほどではないということを突きつけられた時だと思う。そのギャップを知った時に生まれた負の感情を解決するために、自然と上手くなりたいっていう気持ちが芽生えているのではないか。

 悔しさをバネにとはいうが、悔しさをプラスのモチベーションに、生産的な行動に結び付けられる人は強い。それが羨ましかった。