批判
論文が書けない。文字数自体は規定ページ数あるけど、師いわくまともな文章ではない。とりあえず出来て、まぁこんなもんかと投げ出した結果がこれだよ……。そんなわけで学会には二件出る予定だったけどもう一個のほうはキャンセルしたい所存。今の精神状態じゃ出来ない。
とかいって投げ出す奴が将来なに出来るんだと。そう考えると希望もへったくれもなくて大変つらい。でも調子の良い時には多分そこそこやれてるはず……と言い聞かせたいが、調子の悪い時には調子の悪いことばかり思い浮かぶ。
この件に関連して、客観性について考えさせられている。
客観的に見て分かりやすい文章を書け、と言われたが、正直そんなの知るかって話だ。というかそもそも客観的に見て分かりやすいか分かりにくいかが分からない。客観的に見れないのかもしれない。
そんなことを考えているうちに憂鬱になってきたところで、そういえば憂鬱の原因は認知の歪みが原因だとか書かれてるページがそこそこあったな、ということを思い出した。で、もしかしてそれって自分を客観的に見れないからそうなってるのではないかと思い、先ほどの文章を客観的に見れないことと合わせて、自分には客観的に見る力が無いのではないか、という考えに至った。
自分の人当たりとか行動とか思い返してみると、そうかもしれないという部分もちらほら……。
だけど、そう考えることが認知の歪みによるものだとしたら、俺は客観的に見る力があるということで、じゃあなんで文章を書けないかっていう問題に戻るけど、なんででしょう?