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Null Wota Exception

ヌルヲタアラサーがなんか適当に吐き出すところ

みなもと

 校歌の「集まり散じて人は変われど 仰ぐは同じき理想の光」という歌詞が好きだ。高校の時からかれこれ7年位歌っているけど、最初に歌詞を見た時からここだけ妙に引っかかった。この歌詞の、ひいてはこの曲の真価が発揮されるのは多分、卒業式とか、引退とか、そういう時なんじゃないかと思う。学部の卒業式で歌ったときはちょっと危なかった。

 同じ同門の卒業生が世間にわんさかといて、それぞれがそれぞれのやり方で多分頑張って、そして人類社会に貢献している。だからといって自分も頑張れて貢献出来ると断言するのは間違っているけど、とりあえず自信はつく気がする。その自信に救われたりもした。

 そんなこともあってこれが母校愛と言えるのか分からないけど、大学のことは応援していきたいし、活躍して貢献したいなんて思ったりもちょっとしている。そしてどこかの後輩が同じように勇気づけられて、それがどんどん繋がっていけば、それはとっても幸せだなって。

 この母校愛か何かの発現には、母校のOBOGとか同級生とか先輩後輩とか、彼らの存在が欠かせなかったと思う。そういう意味では、この仕組みは大学や教育機関にかぎらず、人間が関わっている色々な共同体について適応できると思う。

 小さいスケールなら地元の友達とか、家族とか。ただ家族は遡って下ってとかやってると結構大きなスケールになりそう。大きなスケールであれば、住んでいる街とか、都道府県とか、国とか、あるいは世界とか。まぁそのレベルの共同体について愛を持てたら凄いと思うけど。

 多分これから先何年か生きていれば、違うスケールの集団に対しても何かしらの特別な感情を抱けるのではないかなと思う。時代は人間の流れと共に移り変わる。その時代の中に生きるということは、人間の流れの中に生きていることと同じなんだと思っている。


 だが、この感情は、なんというか、大丈夫なのか? あまりにも自分に都合が良すぎて、戸惑いを感じている。もしかして、自分の中にある利己的で打算的で、なんというかいやらしい気持ちが爆発するのを抑えるために、あるいは満足させるために、学校の存在を利用して創りだした、ゲロ以下のシステムなのではないか、と。

 後輩の為だ? はぁ。女の子の為だ? はぁ。おま、それ結局はお前の為だろ。お前は他人の喜びを自分の喜びとして喜べるか? その愛は自己満足なんじゃないのか? それなのに、何が愛だ。みたいなセルフ突っ込みをしてしまう。

 愛ってなんだ。寛容で、親切で、後何だったか思い出せないけど、なんだ。ためらわないことで、くやまないことで、愛ってなんだ。

 そんな感じ。論文修正しなきゃ。では。