Null Wota Exception

ヌルヲタアラサーがなんか適当に吐き出すところ

努力!労働!勉強!

 なんだかとっても久しぶりな休日のような気がするんだけど、別に普通だった。GWを挟んだことで休日が久しぶりに感じるというのも、妙な話なような気がする。ここ5日間の平日がやたら長く感じたということか……?

 さて、自分がなかなか電子工作をやろうとしないことについて、次のような事を考えた。一番最後に出来る物の事だけ考えて、作る作業の事を軽視していると、だんだん作る作業が面倒なことに思えてきてしまう。実際手間も時間もお金もかかる面倒な作業だ。そんな時は多分、作ることを楽しむような心構えで挑めば良くて、そうすれば多分やる。

 (電子工作の件に関してはもう触れないけど、製作が面倒だったらAppleよろしく一部の作業を外注してしまえば良いということに気づいた。プリント基板とか。)

 これは多分電子工作だけじゃなくて、勉強とか、練習とか、もう少し広い意味では努力とか、色々な「手段ー目的」という関係性のある行為に当てはまると思う。勉強練習努力が嫌だったら、勉強努力練習を楽しめば良い。

 その方法は?と言われると、なんとも言えないけど、楽しく思えるような見方がきっとあるから、そういう視点を見つけられたら最高だと思う。

 ちょっと話変わるけど、努力に関して「何かしててそれが気がついたら努力になっていた(成長していた)」という状況がとても好き。例えば図書室でバリバリ学術書読んでいても、一般的にはそれは勉強、努力みたいなものだけど、当の本人は普通に楽しんで読んでしかも学んでいる。別に他人と比べてスマートだからという訳ではないけど、努力できていることが嬉しい。基本的に努力とかしたくないじゃないですか。

 あとこんな記事を見つけた。

暇つぶしに何をやっているかがその人の本性。 - マボロシプロダクト 

『暇つぶしや気晴らしに出来ることは「自分が比較的苦に思うことなく出来ること」や「何時間でも出来ること」であって、それが仕事に結びつくと、オフの時間も遊んでいるのか仕事しているのか分からない状態になる。結局無茶苦茶な勢いで技術力や生産性が上がっていくという好循環を生みつつも、本人はそれが労働だとは思っていなくて、ただ自分の大好きな玩具をひたすらいじり続けている状態でしかない。

 反対に気合いを入れて「これをやるぞっ!」と思わなくちゃいけない行為は、「気合いを入れる」というワンアクションを必要としてしまう。「暇潰し派」が信じられないぐらいに楽しげに、他の人が「義務」だと思っていることをやっていると、決して越えられない壁を見せつけられる。だから義務とか努力とか血の滲む云々よりも「暇潰しに出来ること」を基点に据えないと、決して「暇潰し派」には勝てないのだと思い知らされたあの日の夏。』

 この話を読んで、何か出来る人と出来ない人の間には、その何かに対してどういうスタンスで行動しているかという点が、大きく違うんだろうと感じた。とここで、良いことわざを思い出した。好きこそものの上手なれ。

 あと、こう考えているのが自分だけでなくて安心した。前々から努力については悩んで考えてきたんだけども、こう脳内会議ばかりだったので、そこでの考えをなかなか信じられず……。

 さて、ここまで手段とか過程とか言ってきたけど、そういうワードを聞くと、つい「手段が目的になってしまうことは絶対に避けるべきである」というような話を思い出す。サークルで色々あったせいでその影響を強く受けているんだけど、目的がはっきりしていて、途中見失わなければ、作業している間は手段を目的化する、というか、手段を行う過程を楽しんでも良いのではないか思った。

 では最後に、冒頭の「好きこそものの上手なれ」の話に、最後の「行き過ぎた手段の目的化は避けるべき」をつけくわえてまとめると、手段を目的化して楽しめる人が、本来の目的は目的でちゃんと評価することをすれば、かなり良い線行く……そう信じられたらウルトラハッピーだと思う。では。